相撲大会が繋いだ60年越しのバトン
2022年6月11日、最後の相撲大会が行なわれました。
コロナ禍ということで本来の相撲大会ではなく、儀式相撲のみの開催でしたが、6年生の勇ましい姿が見れた素晴らしい大会でした。
そんな今年の相撲大会にはもう一つの物語がありました。
60年前の相撲大会で「行司」をやった齋藤雅義さんと、
その孫で今年の相撲大会で「行司」をやった齋藤晴那(せな)君に取材させていただきました。
60年の時を経て孫の晴那君に行司のバトンが渡されましたが、初め聞いた時どんなお気持ちでしたか?
俺と同じだと思った(笑)
晴那も行司に選ばれたよって言うの聞いて、丁度着物を着てる時だったんで、晴那が着てる着物と俺も同じの着たなーと思って昔の写真引っ張り出してきたの。色は紫だったけど柄が微妙に違うなって。そこだけ勘違い(笑)
写真拝見しましたが晴那君とそっくりですね。
俺ちっちゃかったから、身長前から3番目くらいで高校でうんと伸びたの(笑)
当時どんな経緯で行司をしたのですか?
当時は自分から手を上げてやるっていうより、担任や体育関係の先生達が相撲の練習で取らせてみて一番強いのが横綱だとか、でも痩せて貫禄ないのは土俵入りできないとか決める訳だ、でも俺はなりっこも小っこくて雅義お前は行司だ!っていう事でさせられた(笑)
当時の相撲大会の様子はどのような感じでしたか?
当時は相撲と剣道は全員義務でやってたのもあって、相撲大会は大盛り上がり。
金梵天、銀梵天ってあって
校長先生なんて6学年分6ヶ所回って神様拝みにきて、それから酒飲み始まるから家になんて帰れないからどっかの家に泊まってた、そういう時代なんだし(笑)
子供の成長を祝うっていうのもあって、自分家だけじゃなく近所の子供が梵天とっても皆んな集まってお祝い。地域のお祭りみたいで皆んな見に行った。大相撲より面白いって(笑)
晴那君はおじいちゃんも行司だとわかった時どう思いましたか?
高瀬の相撲には長い歴史があるんだなと思った。
最後の相撲大会で行司やった時どんな気持ちだった?
ちょっと緊張した!皆んな見てるから(笑)
あと、長い歴史の最後は俺たちだっていう圧がかかってた(笑)
けど上手くできたと思います。
148年の歴史に幕を下ろしますが、今後の高瀬地区への思いと子供たちへの思いを聞かせてください。
合併はするけど、相撲大会も剣道大会もなんとか残していきたいと思う。
小学校はここで終わるけど、先代が続けてきたことを地域の伝統行事として、高瀬っ子という心をなんぼでも植え付けていきたいと思う。
終始楽しい雰囲気でお話しさせていただきました。
高瀬の長い歴史の中で相撲大会はとても大事な行事で、地域ならではの文化をつくった存在なんだと思いました。
そして家族への愛情、高瀬への愛情をたっぷり感じさせていただきました。
貴重なお話しありがとうございました。
これからの活躍も楽しみです。